誰かの願いが叶うころ《聖戦後》-6-
「何日か前から、シオン様が引退したいって言い出しててさあ・・・・・」 らしくもなく、言葉を切るアイオロスに。 「・・・教皇がそういう我儘を言いだして、その上すぐ忘れるのはいつものことでしょう?」 シュラは楽天的な推測を被せて返したが。 ・・・・・・・・それは推測というより、自分自身の希望的観測だったかも知れない。 「・・・・・・そーなんだけど、今回は本気みたいでさ。自分はたまたま復活したけど、今生の教皇は今生の聖闘士から選出するのが筋だって、・・・珍しく理詰めで来て、その上引かないから。」 確かに。 そう言われると、返す言葉がないだろう。 何を言っていいかわからないシュラが沈黙しているので。 「・・・それにしてももうしばらくはご教授願いたい、って言っても、わしはもう嫌じゃ、の一点張り。」 言って、アイオロスは、無意識にため息を吐きだした。 「俺はムウを、推したんだけどなあ・・・・・」 俯き気味に話を聞いていたシュラは、意外な台詞に思わず顔を上げた。 目が合う。 聖戦前の事件のこともあり、アイオロスは、もう次期教皇は自分だと自覚して―本人がそれをどう思っているかは別にして―いるものだと思っていた。 そして、そう思っていたのはシュラだけではないだろう。 「・・・・・・あの師匠にしてこの弟子と言うか・・・・・こっちも”私は向いてません”の、一点張り。」 自嘲気味に笑って、肩を竦めた。 それはそうだろう。 あのムウが、そんな面倒をおいそれと引き受けるわけがない。 「逆に、聖戦前から決まっていたことでしょう?とか返されちゃってさあ・・・」 ここで、アイオロスは見ようによっては泣く手前のような顔をした。 「アイ・・・、」 オロス、と続けようとした、シュラの言葉が途切れる。 そのアイオロスが、肩口に縋りついてきたからだ。 「俺、やだなあ・・・・・」 顔の見えない位置で、耳元に弱音が届く。 「・・・・・教皇なんかなりたくない。」 この人がこんなことを言うとは。 思ったところに。 「・・・驚いた?」 まるで心を読まれたようで、シュラは一瞬硬直した。 「ほんとは俺って、こういう男なんだよ。・・・昔はさあ、無理に頑張ってたけど・・・皆よりずっと年上だったし・・・・・・」 「年上だったし・・・・・・それに、サガが・・・・・・・」 たった一人、自分と同い年だったサガは。 確かに知識も豊富で、そういう意味では自分より大人びていたと言えなくもないが。 ・・・・・・精神的に、とても聖域を指導するという重圧を分かち合えるような状態ではなかった。 逆に、自分が2人分気をつけていないとどうにもならないようなていたらくで。 アイオロスは、皆まで言わなくても、そういう意味だとわかってくれると思って言葉を切ったのだが。 ・・・・・シュラの方は、色々と意味を考えすぎて、動けなくなっていた。 一言。 そう、一言、「サガが、何です?」と問い返せば済む話なのに。 言えないのは、何故だろう。 自分は何に拘っている? 「シュラは、俺が教皇になっても・・・・・・」 繰り返された質問は、だが、語尾が続かなかった。 こちらの方も、「変わらず接してくれる?」と続ければ済むことであるのに。 子供の頃、この相手に憧れられていたのは、知っている。 眩しそうに見上げて来ていた。 だが、それは。 ・・・・・・・・・・・・・英雄に憧れる、子供の瞳で。 ただでさえ生還してからその憧れを踏みにじるような行動ばかりしているというのに。 こんな弱音を吐いて、醜態を晒して。 その上・・・・・・・・ 「シュラ・・・・・」 どんな顔をされているのか確認したくて、シュラの肩口に押し当てていた顔を起こした。 目が合ったその表情は、切なげで、今にも泣き出しそうで。 そして。 その目に映った自分自身も、同じような顔をしていて。 アイオロスはどう呼んでいいかわからない感情に突き動かされて、縋りついていた腕をシュラの後頭部に回して唇を塞いだ。 ふいをつかれたシュラは、アイオロスの勢いのついた行動に体を支え切れずにふらつき、ソファに倒れこむ形になった。 自然、アイオロスが圧し掛かる体勢になる。 ここで、行為を受け入れてしまえば、それが質問への回答になる。 ・・・・・・教皇になっても、何も変わらないと。 だが。 先程、当然わかってもらえていると思い込んでいるアイオロスが、不自然なところで言葉を切ってしまった為に。 シュラの、自分でも制御できない闇の深淵が、塞がらない傷口のように、ぱっくりと口を開いていた。 激情に支配されているアイオロスが、貪っている唇を離した、瞬間。 「・・・・・・あなたが教皇だったら・・・・・・・・・これも”任務”になるのかな。」 自分でも信じられないような言葉が、口をついて出た。 言った方も驚いたが。 言われた方は、当然もっと驚き、更に凍りついた。 何故ここでこれを言うのか。 おそらく相手が一番傷ついている時に? アイオロスは泣き出す寸前の様な顔で。 だが、次の瞬間、その表情のまま、微笑った。 そして。 「・・・・・・・・・・・ごめん・・・・・・・」 と、床に座り込んだ状態で俯いて―見ようによっては、土下座ともとれる体勢のまま―謝罪を口にする。 「アイオ、ロス・・・・・・」 ひどいことを言った、とか、そんな意味じゃない、とか。 言わなければならない言葉が、シュラの頭の中で渦巻いていたのだが。 あんなひどい言葉を、どう説明して取り消せばいいのかわからず、逡巡しているうちに。 「ごめん・・・・・そりゃ、そうだよな・・・・・。耐えられないよな・・・・・こんなこと・・・・。」 後に続く言葉が、男なのに、というお決まりの台詞であるのは目に見えていた。 今度は、言う方も言われる方も、同じ台詞が続くことを知っている。 そして、問題はそんなことではないことも。 なのに。 「ごめん・・・俺、ちょっと・・・・・・・頭冷やしてくる・・・・・・・」 言うなり、アイオロスは立ちあがって。 自分の宮だというのに、来客を残したまま出て行ってしまった。 そして、後に残されたシュラは。 追いかけることも、声をかけることもせず、自分の唇に手を宛てたまま、動けずにいた。 アイオロスに、罪はない。 更に、何の関係もない。 ・・・・・・・・・・任務。 そうだ。 かつてのあれは、任務だった。 それでも、デスマスクが「欲求解消のお遊びだと思え」と逃げ道を与えてくれて。 それで、解決したと思おうとしていたのに――――― 闇は、未だ、傷口を開いて、自分を呑み込もうとする―――・・・・・・・・・・・・・ 2010/3/4
+++back+++